peace of mind

私も いつかそこに 辿りつく

命日

今日7/26は大好きだった祖母の命日。2010年に亡くなった祖母を強く強く感じる1日。あれからもう8年が経過した。今も時々無性におばあちゃんに会いたくなる。もう会えないという事実に胸が締めつけられる時がある。

かつて、ある「見える」人に言われたことがあった。私の守護霊は祖母だと。きれいな白髪の女性がいつも私のことを心配そうに見守っているって言われた。部屋の片隅で。それを聞いて、私は涙が止まらなかった。祖母は、祖母の娘(私の母)ではなく、孫(私)の近くに寄り添い、見守っていてくれたのだと知った。間違いないと確信できた。祖母はそういう人だった。きっと亡くなった後も誰よりも私のことを考え、心配してくれてると。

亡くなる日の早朝、私は夢の中で祖母に会った。起きた時、涙で顔がぐしゃぐしゃだった。訳も分からないまま、朝一番、母からの電話で祖母が亡くなったことを知り、祖母が最期に私の元に来てくれたことを知った。嫌な予感は当たるものだ。

「早く結婚して、安心させてね」

祖母の口癖だった。祖母は未だに心配しているんだと思う。ごめんね、おばあちゃん。でも私は十分に幸せで、大丈夫だから。安心してね。分かってくれてるよね。

私にとって、祖母は普通の祖母以上の存在だった。実の母が母親の役割を果たさないという環境の中、私は大人びた子どもとして育ってしまった。必要以上に大人で、普通の子以上に早く大人にならなければならなかったから、常にどこか冷めていた。可愛げなんてなかった。妙に理屈ぽくて、笑わない子どもだった。子どもの心を十分に育てることができず、無邪気さを失い、中途半端に育ってしまった。そんな私を母親のように見守り、包み、まるごと認め、受け入れてくれたのが唯一、祖母だった。私にとって、祖母は母親代わりだったし、私の母だった。

なんでこんなに会いたいんだろう。なんでこんなに涙が溢れるんだろう。なんで。今になって。どうして。

おばあちゃん、私は今、幸せだから、どうか安心して。私は大丈夫。

ひっきーの「夕凪」を聴きながら。今日は1日たくさん祖母のことを思い出し、感じよう。

 

いつか誰もが死ぬ。死は避けては通れない。私もあと何年生きていられるか分からない。明日死んじゃうかもしれない。いつどこに危険が潜んでいるかも分からない。

だからって、人間って儚いなぁとか、一生懸命に生きたって無駄じゃん、意味ないじゃんとかは思わない。いつ死んでも後悔ないように、今を生きるのみ。

父親の病気のことがあって死が最近身近になって来た。父には残りの人生でやりたいこと、やり残したことを考えるようにって、この前の帰省の際に伝えた。嫌がっていたけど。今のままじゃ、いろいろ諦めて、悔いながら亡くなっていくような気がして。母親にも伝えた。残りの人生でこれはやりたいって思っていることを挙げていくと、不思議と生きる気力が沸いてくるはず。やり残したままは逝けないから。

私は何だろう。残りの人生、長いんだか短いんだか分からないけど、何をやっておかないといつかの時、後悔することって。