peace of mind

私も いつかそこに 辿りつく

私が動く時

刻一刻と「その日」は近づいて来ていたのに、「まだ大丈夫かな」「たぶん平気」という根拠のない思い込みという名の空虚で都合の良い解釈を盾に都合の悪い真実から目を逸らしていた。目をつむり、蓋をして見えなくなれば、問題が消えるならそうしていれば良い。けど大抵の場合、一見脇に置いやったところで解決されることはなく、多くの場合かえって熟成させてしまったことで、早めに芽を摘んでおけば労力は3で済んだものの、労力が10にも20にも膨れてしまう、そのくらいにオオゴトになってから、気づいてもあとの祭り。

どうしてあの時やらなかったんだろう。

後悔をしたところで、時既に遅し。

 

私はかつてそうやって問題を放置してしまったことで後で被害を大きくしてしまったことがあった。問題は分かっていたんだ。早い段階で声をあげていれば、病気も、そして半年に及ぶ休職からの退職も免れたかもしれなかったのに。言い出しにくいから、今になれば何に怯え、何を怖れていたのか分からない。今の問題は時間が経過することで解決しないのであれば、早くに対処すべきだし、放置すべきじゃない。

人はいろんな理由をつけ、自分を説得し、自分に都合の良い、今この瞬間心地よい選択肢を選んでしまう。楽な方向に舵をとる。否定はされたくないから、うまい言い訳を作り出し、これで良いのだと思い込もうとする。

 

私は、かつての反省、学びから、自分ゴトについては自分都合ではなく、物事都合で結構進められるようになっている。常に心配ゴトが頭にあってストレスフルだった過去からは考えられない変化だ。たまにあまりに早く対応するから周りから「もう少し考えて」とか言われるけど、考えて良くなるなら考えるけど、考えても変わらないことだったら、寝かせる意味なくない? 私の仕事の進め方は常にこれ。なかなか分かってもらえないけど。

 

そんな私のやり方が「父親」に関してはなかなか通用出来なかった。というか押し通そうとはせず引いてしまっていた。母親に任せておこう、それは私の都合の良い逃げでしかなかった。

昨年の冬、ある難病が発見された父。私でも聞いたことのある病気だった。薬を飲めば症状は抑えられると聞いていたけど、結局、薬の効果をほとんど感じることなく、徐々に筋力が落ちていく父。その症状を知りながら、病院に行っているし、母親がいるしと見ないふりをしてしまったのかもしれない。

症状は一向に良くならず悪化するばかり。

どうしたもんかな、私の伝手で聞けるのも限界がありなかなかこれといった解決策は見つからず、ズルズルと来てしまった。本気で向き合ってなかったんだよな、結局。

 

昨日、弟から電話があった。

父親が椅子から落ち、起き上がれず、おそらく骨が折れてる。救急車を呼んだ。入院する。命に別状ないが、おそらく今後は車椅子になる。

 

今朝9時過ぎに実家、着。車を出してくれた弟と母親と一緒に、介護ショップの10時オープンにあわせて家を出た。ショップで当面必要になるようなアイテムを購入。ランチをしてから病院へ向かった。

病室に入り、ベッドの上で動くこともできず天井をただ見つめていた父親を見て、近い将来、彼をこうやって見送る日が来るんだろうなって、不吉かもだけど自然と思った。そしてその時は10年後とか20年後ではなく、きっと数年後のことだ。決して先のことではない。先送りをしちゃいけない現実が目の前にあった。目を逸らしちゃいけないのはコレだ。

半年前だったら出来たことが今は出来ない。あの時やっておけば、、、後悔を今更したところで遅い。傷口を広げ、治りを悪くしてしまっただけ。頭で分かっていたつもり。けれど目の前にしたら、私は何も分かっていなかったんだって。分かっていたのに目を背けてしまって、見ないふりして逃げていたんだって、分かった。突き刺さった。

明らかに母親と弟は課題の解決には向いてない。後回しにしてしまうクセは直そうと思ってすぐに直せるものじゃない。

だから、私が早くにやるべきだった。

分かっていたんだ。

私がやるべきだって。

なのに。。。

 

限られた時間。今となれば遅いかもしれない。だけど遅すぎることはない。と信じて、父親の残りの人生と、そして1番厄介な会社の問題の解決に向け、私が動き出す時が来た。