peace of mind

私も いつかそこに 辿りつく

親の老い

想像よりも10年近く早く親との老いに直面してる。

もう少し「猶予」があるかと思っていたけども、なかったらしい。

会う度に老いに拍車がかかり、歩行もままならなくなる父親に寄り添っていると、私がすべき行動の選択肢はそれほど多くないことを実感する。

母親は久しぶりに友人らと金沢旅行、弟は県外へ出張。1人取り残される父親父親は「1人でも大丈夫だから」と言ったらしいけども、大丈夫かなと心配しながら皆それぞれが過ごすよりも、私がとりあえず行って近くにいるだけで安心に繋がることは目に見えていた。そして東京で大丈夫かな? と気にするよりも、実家に行ってしまえば良い、仕事は実家ですれば良い、と割り切って昨日の午前中に帰省した。そして今日、母親と入れ替わりで帰京する。

誰もが老いていくし、それにつれ身体の機能も落ちていく。不摂生や病気や運動量、若い時にどれだけ身体に負担をかけてきたかで決まるのだとは思うけど、でも、それはその人の罰でも罪でもない。だから必要以上に、父親から「ごめんね」って謝られると、切なくなってしまう。

だってしょうがないじゃん。年なんだもの。私に謝る必要はないから。

思っていたよりも早かったし、これから残りの人生を楽しんで欲しい、と思っていた矢先にこんな状態に。一番悔しいのは本人だろうし、辛いのも本人。

老いと同時に死も身近に感じるようになって来た。死なんて縁起でもないし、考えたくもないけども、でも、考えてみて。絶対、人は皆、死ぬし、それは避けられない。それがいつ来るかなんて分からない。もちろん死なないで欲しい。けど、分からない。

だから今出来ること、今、考えられること、準備出来ること、備えておけることをしよう。遺される私たちが何とかサバイブ出来るように。もちろん、そんなこと言っている私が、明日、交通事故で死んじゃうかもしれないんだけどね。

今のご時世、ほんといつどこに死が転がっているかなんか分からない。そしてそれを避けることはたぶん出来ない。

私にとって父親は昔から、物心がついた頃から、ずっと「理想の人」で、今だって「理想の人」。自他ともに認めるファザコン。あと何年一緒にいられるのか分からない。私が何か出来ることがあるのかどうかも分からない。でも、やれるだけのことをやっておかなければ、きっと後になって後悔するし、それは私の生き方に反する。

2日間、父親と一緒に過ごし、私も覚悟が出来た。