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peace of mind

私も いつかそこに 辿りつく

夢をみられる才能

ここ最近、夢をみられる、夢をみることができるというのは一種の才能なんじゃないかと思うようになった。

誰だって夢なんかみられるじゃんって思って生きて来たけど、振り返ると、少なくとも私は今まで「夢」をみてこなかった、みたことないんじゃないかなぁって自省の意味を込めてなんだけど。この場合の「夢」は、不可能なくらい、周りがムリだって思うようなくらいの高い目標とでも言うべき未来のことで。障害や苦労が絶えないような凸凹道を進む勇気がなければ、きっと途中で諦めてしまう。挑戦であって闘いでもある、と。そういう「無謀な夢」と思えるようなものに誰もが立ち向かえるわけじゃない。

現実派、超安全志向の私は常に「安全」で、不安の少ない選択肢しか選んでこなかったし、そもそもどんなにやってみたい、叶えてみたいと思っても「かなり不可能」だって少しでも感じたなら私の中で生き残る可能性は消えてしまう。挑戦する前に、ある程度の勝敗を予めつけて、棄権することも多々あった。ってかそういう人生だった気がする。だからいつだってでっかい夢に向かっていく人や、無謀にも挑戦する人に強い憧れを抱いて来たのかもしれない。

私の中で生き延びる「夢」はいつだって想定内の、できて当たり前なことばかりになっていた。ハードルはいつも越えられる高さにしかなかった。自然と、やり遂げた、生きている、っていう感覚に乏しくなっていった、私の人生。好きな趣味に生きている時だけが何となく自分になれる気がしていた。仕事は好きだけど、こなす感覚で、うまく、器用に捌いていただけだった。

夢は誰でも等しく持てるもの。人種や性別、年齢に左右されない。等しく持てるはずなのに、どうして私はこうも夢をみないのか。年は関係ないとはいえ、ある程度、年を重ねた私が今さら何をと思わないわけでもない。正直。けど、今、ここで夢をみなければ、それに挑戦しなければ、私は一生、夢をみることなく終わってしまう気がしている。

そんなことをつらつら最近、物件の内見をしながら考えてる。私はこれで良いのかな、って。今さら何をだけど、でも本当に私はこのままで良いのかな、って。この延長で良いの? って。

 

岐路なんだと思う。

 

久しぶりに見た細美さんのライブでの笑顔が不器用にも自分に正直に生きて来た結果だと感じたことや、舘様のブログの言葉に少なからず影響されているのかもしれない。

最近考える事があって

それは未来の自分ではなく今の自分の事。

今頑張れない奴はきっと未来も頑張ってないと思うし、結果は必ず付いてくると信じてる!

真っ直ぐで常に全力な彼らしくて素敵だなってこの春に思ったけど、どうもこの舘様の言葉も地味に影響を及ぼしているみたい。じわじわと。そこに細美さんの笑顔が重なった。

きっと何事も無意識に今の自分に必要なエッセンスだけが残って、他のことは削ぎ落とされていくんだと思うんだよね。自分に都合良く解釈しているだけなのかもしれないけど、自分を励まし、応援し、鼓舞するために必要な人や言葉を纏い始めると少し勇気が出る気がするんだから不思議。それで良いんじゃないかなって思ったりもする。

私、これまでの人生の中で「悔しい」という感情をあまり持った記憶がない。実際「悔しい」ってどんなんだろう? って思っている自分がいる。中途半端な「負けず嫌い」はたまに出るけど、絶対勝てない、もしくは無理してまで勝たなくて良いやって最初に感じたなら頑張ることもしない。だから本当の負けず嫌いでもないんだと思う。だいたいいつもクールで、大人な風でやり過ごしていた。常に落ち着いている子だった。舘様のインタビューを読むと、この子は常に悔しさを内に秘めて、半ば悔しいという感情を飼ってしまっているなって良く感じる。それがたまに切なくなる。良く分からないけど、切なくなる。でも、負けず嫌いで悔しさを常に抱えてて、大変だろうなって思う反面、自分の人生に、夢に真っ正直に向き合うならば当然の反応なのかもしれない、と今なら思える。だって全力で頑張ってみた結果、出来なかったら悔しいだろうし、自分より上手くできるやつがいたら、悔しさ感じるかもしれない。負けたくないって思うのも当然だろうから。最初から全力で頑張らなければ、たぶんそこまで強い感情を持つこともないまま終えられるし、少なくとも私はそうだった。

 

岐路に立っているな。

 

自ら好んで「悔しい」感情を得ようとは思わない、もちろん。わざわざ危険な道を進もうとも思わない。だけど、超安全志向の決まりきった想定できる未来への道じゃなく、違う可能性やチャレンジングな道があるんだとしたら、そしてそれに少なからず心惹かれているのだとしたら、そっちも精査する必要があるのかもしれない。それが出来る良いタイミングなんじゃないかな、今の私。

かつて弟が私に向かって「努力が出来るのも才能の一つだよ」って言った。同じように「夢をみられるのも一種の才能」だと思う。でも努力や夢をみることは、決して万人に一人とかの特殊なものではなく、意識さえすれば(もしくは変えれば)誰もが等しく(程度の差こそあれ)持てるものだと、その意味では公平なものなんだと思ったりしてる。